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社会の底辺を這いずりながらいつか逆転を夢見る男のブログ。
ツール
プロフィール
HN:
彩木
年齢:
39
性別:
男性
誕生日:
1985/02/21
職業:
自由人
趣味:
エロゲ/サッカー/自作PC/読書
自己紹介:
駄目フリーター(二十歳)
公務員試験での一発逆転を狙いながら、フラフラと空中分解寸前の生活を続けている。高卒、前職は某地方公務員だったが、DQNな部署に飛ばされ熱意を失い自主退職。退職金+貯金で安アパートに一人暮らし、煙草と酒に依存し、ぐずぐずに腐りながらも、最近はようやく前向きになってきたかも。
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雪村蒼弥は学園2年生、当たり障りのない人生を生きていた。
そう、一ヶ月前に両親が事故死するそのときまで。


darkness took over



目覚めはいつも唐突に始まる。

何処かへ消え去っていたモノが自分になる感覚、
掴めない何かを掠め取る感覚、不思議な違和感。


「ううっ・・・」


だから目覚めはいつも不快だった。







季節は冬、窓から見える風景から察するに小降りの雪のようだ、
いつまでも布団でぐたぐたしていたいと思う俺の賛同者はきっと多い、
でもそいつは出来ない相談だった。
 
これ以上のタイムロスは彼女との約束に間に合わないことを意味する、
この雪の中でもきっと待っているだろう、ぼんやりと空から落ちる粉雪を見上げながら。
風邪でもひかせてしまったら一大事だ、布団を跳ね除けると放り出してあった制服に身を包み
部屋を後にする。

戸棚から出した食パンをトースターに突っ込んだあとコーヒーを淹れる、
五分でできる立派な朝食だ、時間もかからないし・・・




「一人になってからの習慣だけどね。」



そう、俺こと雪村蒼弥はつい一月前に両親を交通事故で失った、天涯孤独と言うやつだ。
両親はそんなに人付き合いをするほうでなかったらしく、葬式はこじんまりとしたものだった、
初めて見た叔父に身の振りを聞かれたとき、僕はこのままこの家に暮らすと答えた。



「意地・・・ だったのかもしれないな。」



父と母が死んだと聞かされたときも俺は比較的平然としていた。
人はいつか死ぬ、それは真理じゃなくてただの事実だ。
だから人は故人の死を痛み、悲しむ。
悲しくなかったわけじゃない、でも涙は流れなかった。
俺はここに存在していた「何か」に縋りたかったのかもしれない。



「・・・時間だ、行かないと。」




からっぽの鞄を背負い、家を出る、
学園はそう遠くなく家から徒歩で15分少々。
そして、目の前には彼女のお気に入りの待ち伏せ場所がある。
・・・吐く息は白い、彼女の頭の上にはうっすら粉雪が乗っていた。


「蒼くん、おはよ♪ 今日も時間どうりで私はうれしいよ。」


「うん、おはよう彩香。」


チェック柄のマフラーを首に巻きつけて、隣にいる彼女はクラスメイトの藤崎彩香。
一ヶ月前に始まったこの待ち伏せもすっかり日常になってしまっていた。
彼女は遠目から見ても美人・・・の部類に入るだろう艶やかな黒髪を後ろで束ねていて、
ぴょこぴょこ跳ねる姿は猫に見えなくもない。



「・・・・・・・。」



ご機嫌で少し前を歩く彩香の後ろに音もなく回り込む、


「えい。」

「にゃ!」

「えいえい。」

「にゃにゃ!」


そのポニーテールをひっぱってみた。


・・・すごく怒られた。











「蒼くんのH! もう、知らないんだから!!」


「ほんとに悪かったって、出来心だったんだよ。」



五分は謝り通しているが彩香の怒りは解けない、それにもうすぐ校門だ、
出来れば人のことをH、Hと連呼するは勘弁して欲しい。
世間体など気にしないがクラスの奴に見つかると平穏無事とはいかないだろう。


「今度何かおごるからさ、ね?」


「う~・・・。」


お、脈ありの反応だ、これで何とかなるかなるかな。


「・・・私以外の子にしたら駄目だからね。」


「・・・・・うん。」



思わず固まっていると、何者かによって首を絞められる、


「うう、誰だ朝からこんなテンション高い奴は・・・」


「なんだぁ朝から校門の前で藤崎といちゃいちゃしてるお前さんにテンションについて語られるとは
心外だなぁ。」


朝から俺の首を絞めてくるこいつは真田裕太、ツンツン頭がチャームポイントの我が悪友である。


「裕太か、いい加減苦しくなってきたから離してくれ。」


「あいよ、まぁ熱愛カップルのお邪魔は避けたかったんだが、そろそろ遅刻な訳よ。」


裕太が指差した先には学園の時計が危機的時間を告げていた。


「ああ、本当に走らないとまずい時間だ、ありがとうな。」


「いや、お礼はいいさ、食堂のパン一個で手を打とう。」


裕太の頭に軽くチョップを入れようとしたところで後ろから
彩香の声が聞こえてきた。


「・・・・熱愛カップル。」


「ん?」 「あ・・・」


「蒼弥、俺は行く、お前の健闘を祈りながらな・・・」


「待て、逃げるのか裕太!」(俺も逃げていい?)


「じゃあな~。」(お前逃げたら誰が起こすんだよ、後先考えろ。)


心の声で語り合った俺たちは結局分かり合えなかった。
起きるのを待っていては遅刻する、彩香を引きずりながらやっと
教室にたどり着いた・・・。




ああ、今日だけは我がクラスのずぼらな担任に感謝を捧げよう。
彩香を教室の中に放り込むと自分の席でへたりこむ・・・



「疲れた・・・。」


机に突っ伏してため息をつく、彩香が俺の周りをうろちょろし始めてから一ヶ月、
気苦労の連続だ。朝は家を出てすぐの交差点で待ち伏せされ、
帰りは帰りで俺が昇降口に行くと、どこからか現れる。

最初はこのストーキング行為にも戸惑ったものだが今はもう慣れた。
彼女がかわいかったってのもあるし、
俺には彼女を止めるだけの理由も意地もなかった。

名前で呼べって拗ねられたときは正直どうするかと思ったが、
彩香のわがままを押し通す才能は天下一品だ、
その結果、俺は不特定多数の男子に恨まれてしまっている。


「・・・・・ふぅ。」



今この一瞬だけが俺の安らぎだ・・・。

もうじき再起動した彩香が騒ぎ出すだろう。

ああ・・・ どうにかなんないかなぁ。








「そ~う~や~、あんた今日も朝錬サボったでしょ!、それに藤崎さんと一緒に来てたし!!」




うるさいのが来た、なんて言った日にはマウントポジションで気絶するまで殴られるからなぁ。
俺の前で仁王立ちしている彼女は、倉本吏沙。
認めたくはないが美人、肩口で切りそろえた髪は栗色、
女子弓道部部長で、男子と同等の弓を引く強者である。
逆らうと死ぬ、マジで。



「朝錬は自由参加だろ倉本、それにもう朝は寒いし。」



朝が弱い性質ではないがなんとなくやる気が出ない、
今までそこそこまじめに通っていただけに目立つのだろう今の俺は。


「ふんだ、サッカーはまじめにやるくせに弓道はすぐサボるんだから。」


「そこまで言わなくてもいいだろ、放課後は出るんだからさ。」


倉本は俺がサッカー部の助っ人を引き受けたのが気に入らないらしく、
ほぼ毎日不満を言っている。

別に俺が特別上手いから引き受けた訳ではない、
我が学園のサッカー部は現在部員10名、つまりあと一人はいないと試合さえ出来ない状態だった、
わざわざ掛け持ちして、勝てそうもない試合に出場するほど酔狂な奴はそういない。
俺が頼みを引き受けたのだって・・・なんとなくだった。

 
                        「・・・なによ、あなたが始めたんじゃない。」


「ん? 今何か言った、倉本?」


「なんでもない、放課後の練習サボろうとしたら射抜くからね。」


・・・あなたの弓ではシャレになりません倉本さん。


弓道場は校庭の端、つまり俺の通学路に隣接している、
なるほど、朝も狙われていたのか・・・。

言いたいことだけ言い放つと倉本は席に戻っていった、
ホームルームの時間は過ぎて、もうすぐ一時間目が始まろうとしている。
どうやら我が担任は今日もサボりを決め込むつもりのようだった。




一時間目、 彩香暴走、 授業一時中断、 その後終了、


二時間目終了、


三時間目終了、


四時間目終了。


昼時の鐘が鳴る。

この時点で俺の戦いは始まっている、油断はできない、
敵は弁当、されど弁当。
その機動性は折り紙つきであるし、
破壊力は他の追続を許していない。





「蒼くん~♪ 一緒にお弁当食べ・・・「俺はカツカレーが食いたいんだぁ!」うう~。」




風となって食堂に駆ける、回避成功、回避成功、回避成功。


彩香の作ってくる弁当は危険だ。

一度だけあの弁当を食べたことがあったが、三日動けなかった。

本当に死んだと思ったのは、あれが二度目だった。


だから俺の昼飯はだいたい食堂になっている、ダッシュをかけたのでまだそんなに人はいない。
握り締めていた食券を、食堂のおばちゃんに渡し、
カツカレーを乗せたトレイを手にいつもの席に座る、
隣では裕太がクリームパンを片手にうどんをすすっている。



うどん一口、クリームパン一口、うどん一口、クリームパン・・・・



「・・・美味いか?」



「それなりに。」



「そうか・・・」



つっこみをする気力も失せた。
とりあえずカツカレーを食べてしまおう。


カツに向けて垂直にスプーンを落としカレーを少し絡ま・・・


「あ~あ、かわいそうな藤崎さん。
せっかくお弁当作ってきてくれてるんだから食べてあげればいいのに。」 



いつの間に座ったのか、正面でミニカレーを食べている倉本。
それは間接的に俺に死ねと言ってますか?


「うるさいな、俺はカツカレーが食いたかったんだよ。」


そうだ別に俺はクリームパンを食いに来た訳でもなければ、
うどんを食いに来た訳でもないのだ。


「はいはい、そう言うと思ったわ。」


お手上げのジェスチャーを作った後、何事もなかったかのように
食事を再開する倉本。



「・・・自分の心に素直になることも、時には必要だぞ蒼弥。」



食う手を止めてうなずきながら裕太が言う、
へぇ、裕太も真面目な事言えたんだなぁ。


「んでもって、お前の熱いりびどーで藤崎の「ごきゅ♪」・・・」


「・・・ふんだ!」


俺が止めに入る前に倉本の幻の左が裕太の顔面に直撃した。

音もなくうどんの残り汁に顔面を沈ませる裕太、

猛然とミニカレーを掻き込み席を立つ倉本、

俺はとりあえずカツカレーを食うことにした。

・・・目の前の席は混雑した食堂の中なのに誰も座らなかった。








五時間目、満腹+度重なる精神疲労により睡眠を選択、終了、


六時間目、最初の10分は授業を受けようと試みるも断念、終了。






今日は倉本に釘を刺されたし、弓道部に行くか。


「んじゃな蒼弥、俺は帰る。」


「裕太は部活出ないのか?」


裕太は陸上部で一応棒高跳びをやっている、本人曰く幽霊部員とのこと。
俺の質問に答えず、裕太は風のように去っていった。



ロッカーに投げ込んであった胴着に着替えて弓道場に向かう、

・・・鍵は開いていたが人影が見えない。

                               「あの、先輩。」
                                

「朝錬のまま開けっ放しになってたのか?」


 無用心だなぁ、けっこう値が張る物だってあるのに。   
  
                 
「とりあえず、弦を張るか。」           「先輩、先輩」


「ええと、俺の弓は・・・「先輩、先輩、先輩ぃ」ん?」


「うう~先輩~、無視しちゃいやですよぉ~。」


「ああ、麻理奈ちゃんが居たのか、なんで鍵が開いてるのかと思った。」


この子は一つ下の後輩、進藤麻理奈ちゃんだ。
絶滅危惧種的な大和撫子気質(本人談)、
倉本と一緒に弓道部二大美人と呼ばれているらしい、(俺は呼んでないが)
倉本に言わせれば時期部長候補とのこと、射も綺麗で悪いところなしだ。(殴らないし)


「あ、はい、さっき安土の掃除もしましたし、もう準備できてます。」


つまりもう矢を射るばかりになってるってことか。


「えっと、・・・先輩の弓は右端にあるはずです。」


「ああ、ありがとう。」


見れば色とりどりの握り皮を貼ってある弓の中で、黒一色の俺の弓が見付かった。


「やっぱり先輩はすごいです、昨日練習が終わったあとみんなで、 
 先輩の弓引けるかどうか試したんですけど、・・・誰も引けませんでした。」


うちの学園の弓道部で弓の強さは、男子平均14キロ 女子平均12キロだが
俺の弓は22キロある、引くだけでもキツイだろう。
俺は異常と言っていいほど弓力にこだわることで知られ始めていた。


「理由は単純、俺は速く飛んで行く矢が好きなだけ。」


「特訓したんですか?」


「まあ、ね、特訓と呼べるほどのことじゃないよ。」


ひたすらに、ただひたすらに、毎日腕が上がらなくなるまで矢を射り続ける、
疲れ果てて頭がからっぽになる瞬間が好きだった。


「ふふ、謙遜しなくてもいいじゃないですか、それに弓を握った先輩はとってもかっこいいですよ。」


お世辞だと分かっていても照れるものは照れる。


「ええと、じゃあとりあえず弓の準備しようか。」


「ええ、そうしましょう。」


いつのまにか倉本が道場内にいた。
そして麻理奈ちゃんの首を掴みあげると出口まで引きずっていく。


「私、ちょっと麻理奈と話があるから、蒼弥は先に射込みしてていいわよ。」


にこにこしながら倉本が言った、・・・少し怖かった。     「先輩ぃ~、助けてくださぁ~ぃ」



俺はゆっくりと確認するように弓を握った。

無音の道場の中で精神を集中させ神経を尖らせる。



           足踏み、  基本体から足を踏み開き、

           胴造り、  重心を体の中心に定める、

           弓構え、  準備を整え的をにらむ、

           打ち起こし、大きく円を描いて… 頭の上まで上げる、

           引き分け、 弓を左右均等に引き分ける、

           会、    限界まで引き絞ったまま維持、
 
           離れ、   矢が放たれる、
 
           残心、   放った後も的をにらんでその状態を保つ。



射法八節と呼ばれるこれらの動作の中には無駄がない、
古くから用いられてきた射法にさまざまな改良が加えられ今の形なったと言われている。
限界まで引き絞った強弓から放たれる矢の威力は想像を絶する。

何が俺を急かすのかはわからないが、以前より五キロ強い弓を使い始めて一ヶ月、
ようやく以前の矢数を射れるようになった。



・・・道場に甲高い弦音が響いていた。




部活が始まったのは15分後だった。





しんしんと雪が降る中、俺は弓を引き絞る。

射法八節と呼ばれる動作の中でもっとも難しいとされているのは『会』だ、

見た目には変化はないが、精神的に「無限の引き分け」と呼ばれることもある、

負けても勝ってもいけない弓との刹那の綱引き、

次の瞬間には矢は的に向かって空を奔っている、

強弓独特の暴力的な直線の軌道を描き矢は的を射抜く。




「蒼弥、そのぐらいにしておきなさい、射形が崩れてるわよ。」



倉本に止められるってことは疲れが出てきたか。


みんなが来る前から射込み始めて既に百と幾つ、
途中で休憩すら取っていないのだから腕が上がらなくてもしかたない・・・か、
既に練習時間の大半は過ぎているし。


「わかった、ちょっと休憩してくるよ。」


弓を壁際に立て掛け、腕をプラプラさせながら出入り口に向かう。

「先輩、お疲れ様です。 腕は大丈夫ですか?」

矢を取りに来ていた麻理奈ちゃんに声をかけられた。

「ん、少し休めば引けると思う。」

腕のストレッチをしながら自動販売機に向かう、
コーヒーで一服すれば時間も頃合だろう。


弓を引いていた時には忘れていた冬の冷たさを感じる。

「む、やっぱり長袖のTシャツを着ればよかったな。」

邪魔だからといってインナーを半袖Tシャツ一枚にしたのは無謀だったか・・・




自販機の前に小さな黒猫がいた。
一撫でしよう屈むと、こっちをじっと睨んだ後、
かなりの勢いで逃げられてしまった。


「ありゃ、嫌われたかな。」



こんな寒い季節に野良猫か・・・
気を取り直してホットコーヒーを購入、ちびちびと飲む。


「ふぅ~~。」



ぱたぱたと聞き覚えがある足音が聞こえてくる。


「蒼くん蒼くん、猫さん捕まえたよぉ~。」


胸に抱かれているのはさっきの子猫だった。


「へぇ、どうやって捕まえたんだ? 結構警戒心とか強そうだったけどな。」


「ん~と、・・・呼んだら来てくれたんだよね~。」


「にゃ~。」


不服とも諦めともとれる鳴き声をあげる黒い子猫。


「とってもいい子だよ? はい。」


俺の胸元に猫を押し付ける彩香、


「・・・かぷ。」


俺の腕に噛み付く子猫。


「・・・・けっこう痛いなぁ。」


冷静に子猫を下に降ろすと、一目散に逃げる子猫、
今度はあわてた彩香が飛びついて来た。


「蒼くん! 血が出てる、血が出てる!」


「別に深い傷じゃないし部室で絆創膏でも・・・」


「もう!」


彩香は俺の腕を引いて傷口を確認すると傷口を舐め始めた。


「ぺろ、ぺろぺろ。」


「彩香、そこまでしなくても平気だって。」


「れろ、れろれろ、れろ・・・ん~、おいし、はむ、ちゅ~♪」


まぁたぶん治療目的なんだろうけどさ、
一生懸命さとは違う彼女の恍惚とした表情に、
一瞬・・・   は! 考えるな考えるな。


「こら、吸うな吸うな。 そんなことしてたら血が止まらないだろーが。」


「ん、蒼くんがやめろって言うなら、やめる~♪」


満足したらしく、やっと口を離してくれた。


「あ、あわわ。 先輩と藤崎先輩がそんなこと・・・、きゃ~。」


麻理奈ちゃんに見られた、拙い!
彼女は弓道場に向かったようだ、
休憩中にあんなことやこんなことしてたなんて倉本に伝わった日には、
たぶん死ねる、三回くらい。
俺がこれからも生きていくためには麻理奈ちゃんを止めないと。


「待ってくれ!、誤解なんだよ麻理奈ちゃん!」


足の速さには自信がある、ずいぶん差を詰めたと予測して曲がったコーナー
で麻理奈ちゃんは転んでいた、
たぶん袴の裾を踏んだのだろう。


「えぐ、えぐ、先輩~。」


「麻理奈ちゃん! どこか怪我とかしなかった?」


「はい、大丈夫です~、ぐす。」


なんとか誤解だとわかってもらえたけど、ずいぶん長い休憩になってしまった。
これから弓道場に行っても数本しか射ることはできないだろう。


「今日はこのまま帰ることにするよ、倉本に言っておいてくれないか?」


「わかりました~。」


来た道を引き返す、彩香にも声を掛けておかないとな。
彩香は自販機にもたれかかって俺が残したコーヒーを寂しそうにちびちび飲んでいた。


「彩香。」


「え、蒼くん?」


目をごしごし擦ったあと、俺を見てにこりと笑う、


「あのまま部活に行っちゃうんじゃないかって思ってたよ。」


「そんなに俺の行動って珍しいか?」


「うん、かなりレアだよ~、私感動しちゃったもん。」


「まぁ、着替えてくるから昇降口で待っててくれ。」


「うん!」


彼女は笑顔で答えてくれた。





「ついに蒼くんに誘われちゃった~♪」


鼻歌交じりに隣を歩くご機嫌な彩香。


ステップを踏んだあと、その場でくるくる回り出す。


「そんなに違うか?」


「ぜんぜん違うよ、蒼くんはわかってないなぁ。」


急に止まって、びしっと俺を指差す。


「ふむ・・・。」


こんなことくらいで喜んでくれるならたまには言ってあげてもいいかな、
どうせ言わなくても登下校は一緒になるんだし・・・


「じゃ、また明日な、彩香。」


「うん、また明日ね~♪」


彩香と分かれる十字路もすっかり覚えてしまった、
・・・一ヶ月は長いからなぁ。






俺が両親を失う前、彩香とはただのクラスメートの間柄だった、

名前で呼び合いもしなければ一緒に登校もしてなかった、

俺の何が気分屋の彼女の興味を引き付けたのかは知らない、

でも俺は彼女に救われていると思う、

だから俺は彼女が必要としてくれる限り精一杯のことをしてあげたい。





俺は自宅のドアを開けると挨拶もせずに家に入った、
誰もいないのは分かり切っていた。



誰もいないはずの居間に黒い子猫が居座っているのは何故だろうか?


窓はすべて閉めていったはずなんだけど、どこかに見落としがあったのかもしれない。
とりあえず飯にしよう、


「さてと、お前も飯食うか?」


「にゃ~。」


猫も食えるもの猫も食えるもの・・・
冷蔵庫の中身を漁る、レトルトが多いのは基本だ。


「鮭の切り身があったのは幸運だったな、あとはミルクでも出せば完璧だろ?」


「にゃ。」


満足そうに切り身を食べる黒猫。
俺も隣で鮭の切り身をおかずに飯を食べる。


気が付けば黒猫は居なくなっていた








静かな夜が訪れようとしていた。

テレビの音に誤魔化されぬ真の沈黙が、

耳を塞いでもなお鼓膜に残る『獣』の声が、

嗚呼、窓のない部屋に住んでもこの恐怖から逃れることはできないだろう、

夜になると聞こえてくる『異形』の徘徊する足音、遠吠え、

日々大きくなっていく『音』を決して聞き逃さぬように、

俺はベットの上で頭から布団を被り、膝を丸めていた、

俺は少しずつ狂気の世界に飲み込まれていってるのかもしれない、

けれどどこにも逃げ出せるところなどないのだ、

俺の出す音が『奴ら』に決して聞こえないように、

息を潜め夜が明けるのを待つ、

力尽きて眠り込んでしまうまで『音』が止むことはなかった。


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